初めての文楽!初春公演第2部『冥途の飛脚』『壇浦兜軍記』を観た感想

「大阪に住んでいるからにはぜひ一度は観たい!」

そう思っていたものの筆頭が文楽なのに、危うく二年が経過するところでしたが…

芸能関係のお仕事をしている友人に誘っていただき、先日、生まれて初めて文楽劇場に行って来ましたよ!

今年ずっと体調を崩しておりメモ書きのままだったこの日記、ようやくアップすることができてとても嬉しいです♪

初春文楽公演第二部

国立文楽劇場で行われた初春文楽公演・午後4時開演の第二部内容は以下の通り。

『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』近松門左衛門=作
淡路町の段
封印切の段
道行相合かご

『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』
阿古屋琴責の段

ほんの数日前にネット予約したこともあり、席は最後列でした。

が、これがむしろ初心者には良かったと観劇後に気付いた私たち。

ではその理由と、各演目の感想を綴ってまいります!

冥途の飛脚(めいどのひきゃく)

近松門左衛門による「世話物」の代表作。

伝統芸能を観ていて時々びっくりするのは、金を横領したり人を殺したりするダメな男が主人公であることです。

昨年歌舞伎で観た『女殺油地獄』などもそうで、元は人形浄瑠璃なんですよね。

当時センセーショナルな事件を物語に仕立て上演し、それが残り続けたことで「伝統芸能」になってしまった、という形なのでしょうか。

それにしても救いようのない最低な男が主人公の現代劇というのは見たことがなく、太夫・三味線弾き・人形遣いの技の他にいったい何が魅力なのか?

それを感じるのを楽しみにしながらの幕開けです。

淡路町の段

大坂の飛脚問屋「亀屋」の養子・忠兵衛が新町の遊女・梅川に入れあげている。

江戸からの為替五十両が届かぬと催促にきた丹波屋の八右衛門

しかしその金を梅川の身請け手付金に流用してしまった忠兵衛は、事実を打ち明け「犬の命を助けたと思って」待ってくれと泣いて頼む。

この姿に八右衛門は義侠心を見せ見逃すが…もうすでにバッドエンドのにおいがぷんぷんしますよね。

さらに忠兵衛は、堂島の屋敷に届けるべき為替三百両を懐に家を出るも、その足は無意識に新町へ―。

梅川の元に行ってはいけない、でも行きたい。往来を行きつ戻りつひたすら悩む忠兵衛の描写に時間をたっぷり使っていました。

恋と良心の呵責に悩む心の葛藤が見どころなのでしょう。「人の悩む姿」というものは共感を呼びますものね。

封印切の段

舞台は変わって新町の越後屋。
遊女たちがおしゃべりしているところに梅川もやって来て、忠兵衛とは別の客に身請けされそうだと身の上話をする。

ここで慰めに禿が歌うのですが、三味線を弾く動作と三味線弾きさんの演奏がぴったり重なって、人形の禿が音を奏でているように見えて感動!
個人的にはここが最高の見どころでした…!

そして遊女の言う「嘘も誠ももとは一つ」「とかく恋路には偽りもなく誠もなし、縁のあるのが誠ぞや」という言葉にはなるほどそうだなあと思いました。
この恋愛論、深いです。

さてそんな遊女たちの元に八右衛門がやって来る。彼を苦手とする梅川は二階に隠れるが、先ほどの忠兵衛との顛末を八右衛門が一部始終話すのを聞いてしまい、涙する。

八右衛門のこの話、実は葛藤のあげく新川に向かってしまった忠兵衛も聞いており、逆上して飛び出し諍いに。

ついに忠兵衛は懐の三百両に手を出し、五十両を八右衛門につき返した後、なんとその場で梅川を身請け!
ああ公金横領…死刑に値する大罪です。

ことの次第を梅川にも打ち明けるのですが、「ふたりで死ねば本望」と梅川。逃避行の始まりです。

いやあ、男の面目って大変ですね。

道行相合かご

詮議の手に怯えながら相合かごで忠兵衛の故郷・大和新口村に向かう二人。

やがてかごを降り歩き出すが、疲れ果て、寒々しく、決して幸せの待つ未来ではないことが暗示されています。

どこまでも忠兵衛について行こうとする梅川は遊女の理想なのでしょう。男性が書いた物語なのがよく分かりますね。

人間が現代劇として演じても全く共感できそうにないですが、人形だからこそ美しく見える悲劇だなと思いました。

壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

将軍・源頼朝の暗殺を企てた平家の残党・景清の行方を探索すべく、彼の子を身籠っている傾城・阿古屋が取り調べを受ける。

阿古屋の詮議をするのは畠山重忠岩永左衛門

拷問すべきだという岩永に対して、重忠が用意したのは責め道具ではなく琴・三味線・胡弓。

阿古屋が嘘をついているのなら、その調子に乱れが表れるはずだと主張します。

詮議をする重忠と岩永、この二人が対照的で面白い!

重忠は聡明で、義と人情を感じさせる”正義の味方”。白塗りのシュッとした人形です。

語る太夫さんもキリッとした佇まいで、朗々とよく響くハンサムな声が本当に重忠にぴったりでした。

一方の岩永は短絡的で、人形もいかにも怖そうな赤っ面。でもこの岩永さんの人間臭さがいいんです!

最初は生ぬるい責め具に苛立ちを隠さないのに、阿古屋の奏でる二胡の音色につい身体が動いてしまい、しまいには火箸で自分も二胡を弾く真似事をしだす…笑

この滑稽な演技は、太夫さんも人形遣いさんも実に見事で、近くの席で舟を漕いでいたお客さんもいつの間にか声を上げて笑っておりました。

<衣装の豪華絢爛さ>

傾城・阿古屋の衣装の豪華さは一番後ろの客席でも目を見張るものがありました。

こちらは新春公演のパンフレット。

表紙は阿古屋の身につけている帯の柄です。全部、手作業による刺繍なんですよね…もはや絵画のよう!

特にこの流れる水の様子は、眺めているとうっとりして時間を忘れます。

裏表紙は阿古屋の打掛け。牡丹の花の美しさよ。

<教訓があり、良い気分で最後まで見られるプロット>

ところで私は『冥途の飛脚』よりもこちらの作品の方が好みでした。

それは自分勝手な動機から横領や殺しを働く「しょうもない犯罪人」が出て来ず、きれいな物語になっているから。

阿古屋に三曲弾かせ、その音色に乱れのないことから彼女を無実と判断し釈放させる、という筋には品格がありますよね。

<最大の見せ場は>

「阿古屋琴責の段」の筋はたいへんシンプルですが、その分と言いますか、三業の方々の技術の高さを純粋に堪能できます。

特に阿古屋が楽器を奏でているシーン。時間が経てば経つほど、実際に人形が演奏しているようにしか見えなくなります。

最後の方は阿古屋と重忠、岩永の三人は生きているかのように見えました。

人形遣いの方の顔まで見えているのに不思議ですね…!

初心者でも全く飽きずに、むしろのめり込んで観ることができました。

初心者が文楽を後列で観るメリットとは?

文楽を観る時、後列には後列なりのメリットがあると感じました。

それは、舞台上の人形たちとその上に出る字幕、そして義太夫と三味線ひきの方々と、三箇所が同時に視界に入ること

席によっては三味線弾きの方は見えませんし、字幕を見上げるのに首が痛くなったりしますからね。

とは言えその全てをきっちり見ようと目を皿のようにして瞬きを我慢したので(やりすぎ笑)、目が異常に乾燥&疲労してしまったのですが…。

とにかくこのように舞台全体をくまなく見渡せるという意味では、後列座席は初心者が文楽を把握するのに大いに役立つシチュエーションだと言えるでしょう。

そして文楽というものに慣れてきたら、最も注目したいところが見やすい席をとるのが良いと思いました。

人形や衣装、人形遣いを間近で見たいなら最前列、太夫や三味線弾きをしっかり見たいなら右側の前過ぎない席、というように。

そうすると同じ演目でも違った楽しみ方ができますし、私はそうしてまた『檀浦兜軍記』を観てみたいと思います。

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