大阪市中央区・南大江地域に現存する七ヵ所の地蔵尊のうち、前回は谷町筋の東側を訪ね歩いた様子を記しました(記事はこちら)。
今回はそのつづき、谷町筋の西側の地蔵尊編をお送りいたします。
5)北向き無縁地蔵尊
南大江の七尊のお地蔵さまのうち、六尊は地元の町会の方々が祀っていますが、こちらだけは一企業がその敷地内に祀っています。
市営地下鉄谷町線・谷町四丁目駅から徒歩1分、株式会社LIHIT LAB.(リヒトラブ)さんの本社ビル前にお堂があるのです。
文房具好きの方なら、「リヒトラブ」といえばカラフルなファイルやバインダーがすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。
私も文房具屋さんではアドレナリンが出る性質で、大阪に引越してきた翌日、中央区役所に転居届を出しに行った帰り道に「おお、こんなところにリヒトラブの本社が!」と反応したものです。
その本社ビルは前面がガラス張りでアーチを描く近代的な建築なのですが、このお堂を目にし、こういったものをちゃんと大切にする会社なんだなと一層親しみを覚えました。
こちらのお地蔵さまは昭和21年、戦災の焼け跡を整地している際に発見されたそうです。
空襲で一度地中に埋もれ行方不明になっていたものが、こうして再び祀られている…尊いことですね。
鑑定によるとこちらのお地蔵さま、大阪冬の陣・夏の陣の死者を供養するために彫られたものだそうです。
この一帯はまさにその舞台となったところですからね…見つかって良かったです。
リヒトラブ1階には直営店がありますから、お買い物帰りにお参りしてみてはいかがでしょうか。
6)久和永壽地蔵尊
内久宝寺町3丁目の徳成寺の前にあります。
「久しく和やかに、子々孫々まで無事息災に永らえるように」という願いを込めて名付けられたそうです。
二尊祀られていました。
お参りをすませ振り返ると、住職さん(と思われる方)に声を掛けられ驚きました。
ちょうど外出先から歩いて戻られたところで、「お嬢さんがお地蔵さまにお参りしているのが見えたから、
私は決して”お嬢さん”ではないのですがそれはさておき、にこやかな住職さんに私もつい
「子どもの頃から妙にお地蔵さまに惹かれるというか…」と打ち明けると
「心が安らぐのかな?」
「それもありますし…なにかこう、感謝の気持ちがわいてくるんです。」
「ぜひほかのお地蔵さまも巡ってあげてください。」
何かもっと聞きたいことがあった気もしますが言葉が出て来ず、最後の水呑地蔵尊に向かいました。
7)水呑地蔵尊
内久宝寺町4丁目にあるこちらのお地蔵さまの由来は、大阪城築城の頃にさかのぼります。
秀吉が移住させた人々のうち、八尾の久宝寺近辺からやって来た人たちは、八尾の神立にある水呑地蔵尊を崇拝していました。
移住の際、その水呑地蔵尊を分祀したのが始まりだそうです。
ただしこちらのお地蔵さま、第二次世界大戦前はもう少し南側に鎮座していました。
そして戦時中、この場所には大きな防空壕があり、昭和20年3月14日未明の第一回大阪大空襲で四十名近い犠牲者が出てしまいました。
その方々を慰霊するため、この場所に移築されたということです。
左に見える鶴は、平和への願いでしょうか。
このような歴史があるため、大阪歴史博物館にはこのお地蔵さまのレプリカが設置されていると聞きました。
近いうちに行ってみたいと思います。
まとめ
どこのお地蔵さまもそうであるように、一尊ごとにその由来や歴史は異なります。
でも共通なのは、安心や安寧への祈りが込められていること。
供養のための建立でも、そこには子どもの安全や平和への思いが込められているのです。
そして地域の方が代々大切にお世話をしています。
住んでいる町のお地蔵さまを知ることは、その町の歴史や背景を知ることにつながるのだなと思いました。