イケフェス2017リレートーク『大阪ガスビルに託された夢』を聴いて

イケフェス大阪こと「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪」は、平成25年に始まった日本最大級の建築イベント。
秋の週末に大阪の魅力的な建築物を一斉に公開してくれます。

今年はメインが10月28・29日で、プレ&アフターイベントを含むと5日間、さまざまなイベントが企画されていました。

特に専門家の案内で巡るスペシャルツアーは大人気!
私もツアーに参加したかったのですが、この週末は仕事の予定がびっしりで申し込めず…。

そのかわり時間と場所の都合が唯一ついた、大阪ガスビル南館・3階ホールで行われたリレートークを聴きに行って来ました。

イケフェス2017・リレートークin大阪ガスビル

テーマ
『大阪ガスビルに託された夢-白亜のビルと近代大阪』
講師
京都工芸繊維大学教授・石田潤一郎
安井建築設計事務所代表取締役社長・佐野吉彦

佐野氏にとって、ガスビル南館を設計した安井武雄は祖父、北館を設計した佐野正一は父にあたります。

関西では堺や西宮に住んだことはあるものの、大阪市内に住むのは今回が初めての私。
「南館」と「北館」があることさえピンと来ませんでしたが、この正式名称・大阪瓦斯ビルヂング、中心を境に左右でデザインが違っているのですね。

これは御堂筋の東側から撮ったもので、左側が南館、右側が北館です。

親子で設計していることからも察せられるように、両館は竣工した年が異なります。

この巨大かつ美しいビルがなぜ御堂筋に建てられ、どのような意図が込められていたのか?
南館と北館のこの絶妙なバランスはなんだろう?

このビルを見ていると、建築を学んだ者ではなくても気になりますよね!

建築史家・石田潤一郎氏のお話

建築史家である石田潤一郎氏は、近代的街路と「美観」という概念、そしてオフィスビルのデザインという視点からガスビルと御堂筋の歴史をお話されました。

大阪育ちではない私にとって、御堂筋の歴史自体がまず非常に興味深かった

この大前提として大正後期~昭和初期の大大阪時代があり。
関東大震災の打撃を受けた東京とは対照的に、約90年前の大阪ではあらゆる産業が栄え文化と芸術は発展し、活気にあふれていました。

梅田~心斎橋間に御堂筋線が開通したのはその象徴的な出来事であり、そんな中で花開いたのが近代建築だったと。
この背景を知ることで、御堂筋像・ガスビル像はより鮮明になっていきます。

さて、それまでの日本には存在しなかった幅24間(43.6m!)という巨大な道・御堂筋は、まるで街をなぎ払うかのように拡幅されたそうです。

そして1933年3月、この筋のほぼ中央に大阪瓦斯ビルヂングが誕生

まさに「出現」という言葉がふさわしかったろうと思います。

ガスビルができた当時の写真を見ましたが、連なる民家の瓦屋根から巨大な白亜のビルがそびえる様は、異空間そのものでした。

淀屋橋以南は用地の買収に時間がかかったそうだし、世の常として発展に好意的な人ばかりではありませんが…
当時の人々はどんな気持ちでこの規格外な街の出現を見守り、受け止めたんだろう?

最初の一歩を知ることは感慨深いですね。

ところで当時、オフォスビルのデザインの主流は次の二つのタイプだったそうです。

1.単純箱型パターン(例・東京海上ビルヂング、丸の内ビルヂングなど)

2.様式的装飾パターン(例・日本ビルヂング、南海ビルヂングなど)

容器的、均質的空間しての機能と装飾性。
この二つの間で建築家は折り合いの付け方に悩んだとおっしゃいます。

そして登場したのが

3.モダニズムパターン(例・心斎橋そごうなど)

様式を拒否し、単純化を美学とした幾何学的なデザイン。

大阪ガスビルはこの代表的かつ象徴的な建築であり、「当時の課題とガスビルをとりまく状況に対する鮮やかな回答」であり、「都市美観という時代の課題に対する新しい答え」だったとまとめられました。

設計者の系譜を受け継ぐ佐野吉彦氏のお話

佐野吉彦氏は南館を設計した建築家・安井武雄のバックグラウンドから入り、この建築に込められた思いや、その時代におけるこのビルの意義などをお話されました。

その中で一つ、うっすらと感じていた疑問が完全にクリアになったことが。

私は御堂筋を歩く時、南から北に向かって歩くことが多いのですが、ガスビルは南からの視線を最も意識してデザインされたように感じていたのです。

なぜ正面にあたる御堂筋側よりも凝ったデザインなのだろう?

この階段状の上階が特に。
これは実際は斜線制限というルールに基づくものだそうですが、それにしても段差と横幅の比率が美しくて。

この答えを明確に教えていただけました。

御堂筋が拡幅される前、大阪城と海をつなぐ線、すなわち東西を走る通りがかつてのメインストリートだったのだそうです。

よって当時の目抜き通りはガスビル南側の平野町通りであり、むしろこれに面した側が顔だったと。

そして御堂筋(線)が梅田と難波をつないだことで、現在のように南北のラインが主軸になったのだとか。

なるほど!目から鱗が落ちました。

ところで第一次世界大戦後のバブル期。
この頃の作品はオーナーと建築家の呼吸が合っていた、佐野氏はおっしゃいます。

ガスビルもまた大阪ガスと安井の共同作品であると。

当時まだガスの普及率は高くなく、「ベンチャー企業だった大阪ガスという会社のチャレンジ精神に安井も乗ったかたち」と表現されていました。

だから意識的に良い意味で浮いている作品とのことですが、このビルが竣工された時、安井は50歳。

キレ味だけではなく、後のことを考えた計画力もまた読み取れるそうです。

戦後の高度経済成長期を迎えるとガスの需要が増大し、大阪ガスは本社事務所を拡張するため北館を増築します。

設計は安井の娘婿である佐野正一で、1966年に竣工しました。

これにより南は平野町通りから北を道修町通りに渡る、まるまる一区画のビルが完成。

ガスビル建設当初、シカゴの街並みを見て理想とした「ワンブロック・ワンビルディング」の夢がこれにより叶えられたということです。

全体としては不思議な一体感があり、これを「上手いバトンリレー」と例えられていました。

南館の風格を引き継ぎつつもよりシンプルでシャープなデザインは、うまくバトンをもらいつつちょっと違うやり方で走ったと。

最後に、大阪ガスビルが今も”生きている”のは、このビルが「大阪ガスという会社による力の誇示ではなかったから」というお話が印象的でした。

8フロアのうち大阪ガスが使用していたのは1、2フロアだけで、他の階はテナントとして貸したほか、講演場、美容室、喫茶室、食堂などがあり、一般市民が子どもから大人まで幅広く集う場であったそうです。

この性質は現在でも変わっておらず、テナントビルとしての不変性が今も生き残れている要因ではないかとおっしゃっていました。

まとめ

このリレートーク、なんと無料で参加することができたんです!

とても有意義な時間をありがとうございました。

遠方に住んでいる弟が一級建築士なのですが、果たしてイケフェスのことを知っているのだろうか…?

来年はおいでと言ってみよう。

引越しが多い人生は決してラクではありませんが、このように新たな街の歴史を学ぶのはとても面白いことです。

帰り道、梅田方面まで歩いていくと、御堂筋がいつもと少しちがった顔に見えました。

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