イケフェス2017で気になり調べてみた「大阪ガスビルと大阪大空襲」

前回はイケフェス2017の一環として行われたリレートーク『大阪ガスビルに託された夢-白亜のビルと近代大阪』を聴いてきた感想を綴りました(こちら)。

このビルの完成に至る歴史的背景を学ぶにつれ、どうしても気になったことがあります。

1933年 南館竣工
1966年 北館竣工

この間には太平洋戦争がありました。
すなわち1945年3月の大阪大空襲を経験しているはずなのです。

御堂筋の周辺も火の海になったと聞きましたが、この空襲の時、大阪ガスビルは戦禍を免れたのか?
北館の「増築」という言葉は出て来れど南館の「再建」という言葉は出て来なかったから、やはり焼失しなかったということか?

テーマから外れるためか(あるいは大阪では常識だから?)トークでは一切ふれられなかったので、少し調べてみました。

太平洋戦争と御堂筋の大阪ガスビル

大正後期~昭和初期、産業や文化が発展し近代建築が花開いた大大阪にも、1937年に日中戦争が始まり1938年に国家総動員法が施行されると、不穏な空気が漂い始めます。

1.戦時下の大阪ガスビル

私がまず気になったのは、ガスビルの白壁はどうなったのかということ。
別の都市では戦時中、白い民家さえ迷彩塗装された事実があります。

敵機からこのうえなく目立つであろうサイズと色のガスビルは、いったいその姿を保てたのでしょうか?

大阪ガスによれば

1942年:屋上ネオン塔・手すり・窓枠などを金属提出
1943年:エレベーター2機・エスカレーターなどを金属提出
1944年:外壁をコールタールで黒く迷彩塗装

竣工から10年も経たないうちにその美しい建築の一部が差し出され、白亜の外装は真っ黒に塗り替えられたということでした。

またこの間、国民生活は規制され贅沢は禁止されたので、ガスビル食堂やガスビル喫茶では営業が自粛されています。

2.大阪大空襲と大阪ガスビル

昭和20年3月13~14日にかけての大阪大空襲は、都心の住宅密集地を標的とした三時間半にも及ぶ夜間爆撃でした。

当時の記録によれば
・死者3,987人
・行方不明者678人
となっていますが、あくまで確認できた数なので、実際ははるかに多いはず。

被災面積はおよそ21.0平方キロ、被災戸数は13万6千戸以上でした。

ではガスビルの被害状況はと言いますと…

1945年3月:大阪大空襲にて7階の料理講習室と8階の食堂一部を罹災

ガスビルは全館に備えていたシャッターを降ろし、上階の一部を罹災しただけで難を免れたとのことでした。

大阪市街地の空襲直後の写真を見ると、焼け野原の中にいくつかの大きな建造物だけがぽつぽつ残っており、その中に黒く塗られたガスビルが確かに見受けられました。

一部の罹災のみで生き残ったビルはほかに電気科学館、三木楽器本店、心斎橋そごう、大丸百貨店などがあり、すべてコンクリート作りのビル。

そして大阪ガスビルも含めこれらのビルは、たびたびあった空襲の際、近隣住民の避難場所となったようです。
これらのビルの地下に避難して無事だった、という体験談をいくつか読みました。

ところで大阪大空襲の際にも地下を走る御堂筋線は無事で、臨時の救難電車を走らせて猛火に追われるたくさんの被災者を梅田まで運んだ―この事実をモチーフにしたシーンがNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」で放送され、近年話題になりましたよね。

また御堂筋という道自体も街路樹まで無事で、戦後は復興への精神的支柱となったそうです。

3.大阪ガスビルの戦後

では大阪大空襲の5ヵ月後、終戦を迎えた時にガスビルはどうなったのでしょうか?

1945年10月:2階講演場と6階以上等を進駐軍が接収
1949年:外装タイルの迷彩塗装を洗浄
1952年:進駐軍の接収解除

戦後はガスビルの2階講演場と6階以上の部分が進駐軍に接収され、7年に渡り宿舎として使用されました。

その解除に伴い52年の年末にガスビル食堂は営業を再開していますが、食糧事情のため約5年間は通常通りの営業はできなかったそうです。

それにしても、真っ黒に塗りつぶされたガスビルが再び白い外壁になった時、それを見た人々の気持ちはいかばかりだったか…

少なからぬ人々の胸に希望を灯したことは、想像に難くありません。

まとめ

やがて日本、そして大阪では高度成長期を迎えてガスの需要が増し、ガスビルも北館の増築へとつながっていくわけですね。

これでリレートークで気になった空白の時代を知ることができました。

建築に限ったことではありませんが、どんなに美しいものを創造しても、破壊は一瞬です。

イケフェス2017でリレートークの講師を務められた佐野吉彦氏が、建築物が「成立するのも維持するのも人の縁」とおっしゃっていました。
「だから皆さんよろしく」と。

御堂筋沿いには白い大きなビルが並び、それが当たり前の風景のようになっています。

しかしこの見慣れた大阪の大動脈こそ、実は平和の象徴なのかもしれません。

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