真田山に鎮座する三光神社に初詣、そして陸軍墓地と真田丸跡を歩く

大坂冬の陣の際、真田信繁(幸村)が築いた出丸・真田山

その一角に鎮座する三光神社に初詣に行ってきました。

上町筋より東側に行く機会がほとんどなかったので、その周辺もゆっくり歩いてきましたよ。

真田幸村像のある三光神社

三光神社は天王寺区玉造本町にあり、地下鉄・長堀鶴見緑地線の玉造駅から徒歩2分です。

が、谷六から良い散歩の距離なので、のんびり歩いて行きました。

六文銭の旗が翻っています。

もう一昨年のことになりますが、NHK大河ドラマ『真田丸』は、テレビにあまり興味のない私が欠かさず見た数少ないドラマの一つです。

当時は東京で見ていましたが、まさか大坂の陣が行われた場所に自分が一年後に住んでいるとは、思いもよりませんでした。

境内には幸村像があります。

すごく勇ましい顔をしている。

また「真田の抜け穴」と言われる史跡も。

幸村が作ったと伝わる、大坂城に通じる抜け道だそうです。

諸説あるようですが、いずれにしてもこの辺り一帯は、歴史をリアルに感じることのできる場所ですね。

本殿。

お詣りの後にお御籤をひいてみたら、なんと大吉でした!!

今年新しいことを始める自分にとって、最適な言葉を引いたように思います。

ところで、お御籤はその後どうするのが正しいのか社務所で聞いてみたところ、木に結ぶのが必ずしも正しいわけではないのだそう。

この一ヵ月でスタートダッシュできるよう、せっかくなので家に持ち帰りました。

境内には寿老人の像も。

今年は大阪七福神を巡るつもりです。

真田山陸軍墓地へ

さてこの三光神社の裏手には、旧陸軍の墓地が広がっています。

この真田山陸軍墓地は現存する軍墓地の中では最古にして最大規模だそうで、西南戦争から日清・日露戦争、そして太平洋戦争で亡くなった方々のお墓が並んでいます。

墓標の数はなんと4800柱。

名前と階級のほか、没年月日と出身地が彫られていました。

中には「清国」「獨逸」の文字もあり、俘虜だった方のお墓ということですが、彫られていた「俘虜」という文字が配慮のため消されており、印象的でした。

ものすごい数のこのお墓が、実は「戦死」された方より病死された方がはるかに多いのだそうです。

今でこそこのように管理され穏やかな空気すら流れていますが、戦後にはかなり荒れていたそうで、この墓地を保存すべく強い意志をもって動いた・動いている方々の存在も感じます。

正月から墓に行かなくても…と思われるかもしれませんが、自分が今生きているということと、命は当然ながら有限であることを新年にあたり実感することで、身の引き締まる思いです。

墓地のすぐ隣にある空堀地蔵尊にもお詣りしてきました。

真田丸跡・心眼時へ

陸軍墓地を通り抜け、真田丸跡と幸村のお墓のある心眼寺にも足を運びました。

大坂冬の陣から400年経った2014年10月に建立された信繁のお墓。

真田丸の中心地だったと言われる場所は現在、心眼寺向かいにある大阪明星学園のグラウンドになっています。

この碑はその脇に一昨年作られたものだそう。

仙台時代から長い付き合いの友人が明星の卒業生なのですが、「おお…!彼は真田丸跡に通っていたのか!」と小さく感動(?)してしまいました。

大阪の、特に私の住んでいる辺りには、このように歴史を身近に感じられる場所が沢山あります。

今年はもっと遺構や博物館・資料館などを訪れ、また地域のイベント等に参加するなどして、積極的に学んでいこうと思います。

スポンサーリンク

フォローする